被曝線量引き上げ、汚染食品の流通、口封じ、チェルノブイリの教訓生かさず、ソ連と同じことをする日本、暴き続けた衝撃の機密(共同通信)

 事故処理に一体、どれほどの人とお金が必要になるのだろうか。チェルノブイリの教訓はなぜ生かされなかったのか―。東京電力福島第1原発の事故を知ったとき、元ウクライナ内務省大佐、アレクサンドル・ナウモフの頭にまず浮かんだことだ。

 予防体制の不備、安全への過信、秘密主義。チェルノブイリ原発事故当時、旧ソ連の体制側にいた自らの経験も脳裏によぎった。無念だった。

 「数百万人の運命を変えた事故の記憶が失われてはならない」。チェルノブイリ原発事故に関する旧ソ連政府や共産党の資料収集と、その内容の発表を通じ、63歳のナウモフは未来への警告を今も発し続けている。

 ウクライナの首都キエフの古いアパートに彼を訪ねた。2㍍近い大男。軍人一家に生まれたが「家の伝統破りで」警察官になった。鋭い目つきとは対照的に口元にはやんちゃな笑みも浮かぶ。

 ▽愛国心で現場に

 1985年4月、ウクライナ内務省はキエフ郊外に警察官を集め、核攻撃や原発事故に備えた訓練を実施した。ナウモフは当時、キエフの警察官。線量計の使い方などを練習したが「誰も本気でやっていなかった」。チェルノブイリ原発は世界一安全。「その言葉を誰もが信じていた」

 訓練からちょうど1年後の86年4月26日未明「チェルノブイリ原発で大事故らしい」との信じ難い情報を当直の同僚が伝えてきた。まだ政府は沈黙していたが「現場には兵士や警察官が必要」と聞き、事故から3日目の28日、仲間6人と自主的に現地に向かった。「愛国心を示せという教育を受けていたからな」

 当時の警察署にあった防護服は対化学兵器用。サイズも合わなかったが「ないよりはまし」と着用し、原発近くの町プリピャチに入る幹線道路や鉄道駅で人が市内に立ち入らないよう監視した。

 半年後、目のかすみと腰痛で病院に行くと「あなたが身に付けている物も含めて放射性物質の汚染がひどい」と医師に言われた。入院すると「体が板のように硬直して動けなくなった」。隠していたコニャックを気つけに飲むと逆に気を失い、煙草を吸ってまた気を失った。「死ぬ準備ですね」と担当医師が皮肉った。

 9カ月後に退院したナウモフは「昇進のため」に原発から十数㌔のチェルノブイリ警察署に赴任。89年には原発情報を担当する内務省技術情報部長に抜てきされた。

 ▽汚染肉を加工

 そこで目にしたのは原発事故に関するソ連共産党政治局などの機密文書の山。「報道発表とまったく違っていた」。夢中で読み、こっそりノートに写し持ち帰った。

 衝撃的な文書が数多くあった。85年5月8日付党政治局議事録には、周辺住民の被ばく許容量を「150万人の移住が必要になってしまうため、基準値を10~50倍に引き上げることを承認する」とあった。

 「汚染された家畜の肉を加工品に10%ほど混ぜ、ソ連全域に配ることを勧める」(86年8月22日付同議事録の添付文書)。汚染肉を処分せずに「薄めて」広域に分散させるという驚くべき施策だった。牛乳についても「安定供給を困難にしている」(同)との理由で、基準値の10倍を超えた汚染乳が出荷された。

 当時の記者会見などで責任者は事実を隠し、うそと知りながらも上層部からの指示通り発言した。「頭の中のフィルターが自然に働いて『異常事態』はなかったことにする。ソ連時代の官僚の習性だった」

 原発事故に関する機密文書は、ソ連崩壊直前の89年ごろから機密指定が順次解かれていったが、そのこと自体が一般に知られていなかった。内務省在職中からナウモフが地元紙などにその内容を暴露すると、省内で追及された。「省内の者でさえ機密指定が解かれていることを知らず、口封じをしようとした」

 あの事故がもたらしたものは何か。事故後、政府はどう対処したか。これを明確にし、教訓としなければ惨事が繰り返される。その思いがナウモフを駆り立ててきた。

 収集してきたチェルノブイリ原発事故の資料をウェブサイトに公開。チェルノブイリ現地の「案内人」としても各国に名を知られるようになった。

 ▽イコン

 事故直後に一緒に現場に向かった警察官仲間6人のうち4人は既に病死した。ナウモフも血液の病などを抱え、つえがないと歩けない身だ。

 「生き残った仲間の1人は司祭になったよ」

 なぜ司祭に?

 「分からんな。ソ連時代にアフガニスタンの戦争に行った友人も司祭になったが、これは理解できる」。その友人がくれた十字架を首に下げている。「共産党員だったから宗教的なものは…」。その言葉を途中でのみ込み、ナウモフは書棚にあった絵に手を伸ばした。「チェルノブイリのイコン(聖像画)」として知られている絵だった。天にはキリストと聖母、荒廃した地上にはマスクをした事故処理作業員らと死者の魂が描かれていた。

 「あのとき仲間を現場に連れて行くべきではなかった。今でも悔やんでいる」。ナウモフの目が潤んだ。

http://www.47news.jp/47topics/inori/2014/09/post_20140829120554.html
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Author:東京江戸川放射線
2011年3月の原発事故時、放射能プルームで被爆。江戸川区の自宅周辺の放射能を測定。測定した結果、放射能汚染が酷いことが判明。妻子は3月より大分県別府市に移住。私も2012年5月末に東京の民間企業を退職し家族と合流。

 

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