県産農産物の平成28年度の輸出量は61.0トンと、前年度を21.7トン上回り、東日本大震災と東京電力福島第一原発事故後で最大となった。特にモモは前年度の約3倍の30.6トンと、原発事故前の22年度の23.9トンを上回った。しかし全輸出量は22年度の152.9トンの4割程度にしか回復していない。県は「国内外の風評払拭(ふっしょく)に向けた足掛かりになる」と販路拡大へ、実績をアピールしていく考えだ。
 25日に福島市で開かれた県貿易促進協議会総会で示された。主な県産農産物の輸出量の推移は【グラフ】の通り。
 モモの輸出先はタイ、マレーシア、シンガポール、インドネシアの4カ国。県などは昨年、青果物の鮮度を保つ空気調整(CA)コンテナを初めて導入し、船便による海外輸出を始めた。航空便の輸送量は1便2トン程度だったが、船便は2倍の4トン程度運べ、費用も十分の一になった。現地の販売価格も抑えられ、販路拡大につながった。CAコンテナの導入で柿は前年度0.4トンから約8倍の3.1トン、梨は同0.4トンから0.6トンに回復した。
 県産のモモは震災前は台湾や香港が主な取引先で、20年度は過去最高の約70トンが輸出された。しかし、原発事故の影響で取引はゼロになり、両地域では依然として県産農産物の輸入規制が続いている。県は既に規制を緩和している地域の輸出拡大を図りながら、規制解除に向けて国と連携し情報発信や現地商談会への出展などに取り組む方針だ。
 コメの輸出量は輸入規制や風評被害の影響で22年の108.1トンの約二割に当たる17.1トンにとどまっているのが現状だ。
 一方で、28年度には英国に約13トンを輸出するなど、新たな販路も開拓した。現地では在英県人会ロンドンしゃくなげ会(満山喜郎会長・白河市大信出身)が風評払拭に向けたPR活動などを展開しており、官民一体で輸出回復を目指す。

http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2017/04/post_15024.html
 東京電力福島第一原発事故により避難区域が設定された県内12市町村で深刻化しているイノシシ被害の対策として、有識者でつくる県の専門家チームは平成29年度内にイノシシ排除広域緊急戦略を策定する。26日、三春町の県環境創造センター交流棟(コミュタン福島)で開かれた第2回鳥獣被害対策会議で県が示した。
 専門家チームは溝口俊夫県野生動物調査専門官と羽澄俊裕鳥獣対策専門官、小寺祐二宇都宮大准教授の3人で構成する。南相馬市と浪江町で行うイノシシ駆除の実証実験のデータをはじめ、12市町村の被害状況などを踏まえて排除技術や人材育成の手法を盛り込む。
 さらに、12市町村の担当者らはイノシシの生態や被害対策について月1回程度研修し、来年1月までに市町村ごとの駆除の実施計画を策定する。
 会議には国や県、12市町村などから約90人が出席。小寺准教授がイノシシ被害の現状などを説明した。
 平成30年夏の一部再開に向けて原状回復工事などが進むサッカー施設Jヴィレッジ(楢葉、広野町)で17日、ピッチに天然芝を張る作業が始まった。9月中旬ごろまでに天然芝ピッチ8面のうち5面に芝が張られ、サッカー施設の姿を取り戻す。
 芝張り作業はセンター棟南東にある2番ピッチで行われた。作業員約10人が縦約2メートル、横約50センチの天然芝を整地した土の上に敷き詰めた。ピッチの広さは約9000平方メートルで、一面全てに天然芝を張るのに1週間から2週間かかるという。
 運営会社の日本フットボールヴィレッジの上田栄治副社長は「芝が張られ、いよいよサッカー場らしくなる。早く昔のような美しい芝生のピッチに戻り、子どもから大人までサッカーを楽しむ姿を見たい」と話した。
 Jヴィレッジは東京電力福島第一原発事故の対応拠点として東電が運営会社から借り受け、グラウンドに砂利やアスファルトを敷き詰めるなどして作業員の駐車場や資材置き場、ヘリポート、社員寮の設置場所として使われていた。
 Jヴィレッジではピッチなどの原状回復工事のほか、平成31年4月の全面再開に向け、全天候型サッカー練習場や新しい宿泊棟の建設工事が進んでいる。

http://www.minpo.jp/news/detail/2017041840810
 県内のイノシシ捕獲頭数が急増し、地元自治体や狩猟者が捕獲後の処分に苦慮している現状が、県の調査で分かった。2015(平成27)年度に捕獲したイノシシ1万5467頭のうち、衛生的に最適な焼却処分は全体の37%に当たる約5800頭にとどまる一方、残り約9600頭は土に埋設処分された。東京電力福島第1原発事故で避難指示が出された地域を中心にイノシシ被害が深刻化する中、捕獲後のイノシシを処分する用地の確保や衛生環境整備などが、市町村の大きな負担になっている。

 ◆◇◇40分かけて解体

 「大きいと100キロ近い重さになるイノシシを解体するのは大変。解体が不要な焼却炉があったら楽だな。うちの方にも建たないかな」。伊達地方衛生処理組合の焼却施設でイノシシを焼却するため、1頭当たり30~40分かけて解体している県猟友会桑折支部長の後藤忠郎さん(62)に徒労感が漂う。

 鳥獣の保護および管理ならびに狩猟の適正化に関する法律に基づき、捕獲したイノシシを穴を掘って埋めるのは重労働で、用地確保の問題もある。年間40頭ほど捕獲する後藤さんは「埋める場所がないから、焼却を選んでいる」。しかし、焼却するにも夏場はイノシシが腐りやすく、処理が滞ると悪臭に悩まされる。

 ◇◆◇専用炉県内1基

 後藤さんがうらやむのは、相馬市と新地町でつくる相馬方部衛生組合が同市に建設し、16年4月に稼働したイノシシ専用の焼却炉。イノシシを解体せずに焼却でき、バグフィルターで放射性物質の飛散も防ぐ。稼働後の1年で、冷凍庫に保管されていた15年度捕獲分も含め約830頭を焼却。今後も年間600頭のペースで焼却する計画だ。

 捕獲後の処理が問題となり、猟友会の駆除意欲の低下に拍車を掛けていたとする相馬市の担当者は「処分に悩む必要がなくなり、駆除意欲の活性化につながった」と説明する。

 解体せずにイノシシを焼却できるのは両市町と、高い焼却能力の施設を持つ福島市のみ。35市町村は事前に解体して一般廃棄物の焼却施設で焼却するか、埋設している。焼却施設を使わず埋設している市町村もある。

 ◇◇◆捕獲頭数8倍に

 県はイノシシによる農業被害や人的被害の未然防止に向け、年間1万7000~1万8000頭を捕獲、19年度までに生息数を5200頭に減らす目標を掲げる。16年度の実績は集計中だが、目標を上回る2万4000頭が捕獲されたとみられる。捕獲数は11年度の約3千頭の約8倍に膨らむ。

 捕獲対策が軌道に乗る一方、多くの市町村が処分に頭を悩ませる。専用の焼却施設や微生物による分解処理装置の導入を検討する市町村も出てきているが、一般的に「迷惑施設」と見られがちな処理施設の建設には住民の理解が必要で、慎重な対応を迫られているのが現状だ。県自然保護課は「出口ベースの処分をどうするか。市町村と一緒に考え、問題解決に汗をかいていきたい」とする。

http://www.minyu-net.com/news/news/FM20170416-164842.php
 相馬市は東日本大震災以降、開設を見送っている原釜尾浜海水浴場について今年度、再開に向け関係機関との協議を始める。条件が整えば、来年夏の再開を目指す。
 県は海水浴場背後の海岸堤防の整備を進めており、今年度完成する予定だ。海水浴場の再開に備え、海岸近くの海浜公園にトイレやシャワー室、ベンチなどを整備した。震災の津波でえぐられた海岸の修復工事も既に終えている。
 市は津波に関する警報などが発令された場合に備え、海岸付近にいる人が安全に避難できるよう堤防から内陸につながる避難道路を計画している。
 市は今後、県や観光・宿泊関係団体などとの協議の場で再開時期や安全対策などを慎重に議論する。
 市によると震災前、同海水浴場には1シーズン当たり約5万人の海水浴客が訪れていた。

http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2017/04/post_14986.html
 県は平成29年度から、東京電力福島第一原発事故で避難区域が設定された12市町村で生産された農産物の首都圏などでのセールスを支援する。農家から出荷量を増やしたい栽培品目や取引を希望する相手を聞き取り、販売・加工業者らとの商談を取り持つ。
 県は事業を福島相双復興官民合同チームに委託する。12市町村で農作物の栽培を再び始めた農家や営農再開を希望する農業者を訪ね、出荷に力を入れたい品目や取引をしたい業種を聞き取る。
 この結果を踏まえて商談する相手を選び、農業分野に詳しいコンサルタントを商談先に派遣する。仕入れの条件などを聞き取った上で12市町村の農産物の安全性や品質を伝え、農家との取引の成立を目指す。
 事業は32年度までの4年間継続する。営農を再開した農家が比較的多い地域から始め、順次対象を拡大する。
 県は12市町村の営農再開を加速させるには農産物の販路拡大が不可欠とみている。県と農林水産省が昨年7月から11月にかけて12市町村の認定農業者を対象に実施した調査(対象708人、回答522人)では、回答者の4分の1に当たる137人が販路確保の支援や風評対策を望んだ。
 県農林企画課は「原発事故後に失われた販路の回復に加え、新たな流通ルートの開拓を進めていきたい」としている。

http://www.minpo.jp/news/detail/2017041740780
 東京電力福島第1原発事故の対策拠点でありながら、事故発生直後に閉鎖された福島県大熊町のオフサイトセンターは、無人のまま施錠されずに2カ月半も放置されていた。証言したのは当時、県議だった小沢隆さん(76)=会津坂下町=。「状況を確かめて冷静に行動できなかった今回の原発事故を象徴する。歴史的な教訓にしなければいけない」と戒める。

◎施設機能せず 行政の責任感問う

 小沢さんは同僚議員らと2011年5月29日、自主調査で福島第1、第2原発のオフサイトセンターである県原子力災害対策センターを訪れた。第1原発の20キロ圏内には通行許可証を取得して入った。一時帰宅は始まっておらず、第1原発から約4キロ離れた大熊町中心部のオフサイトセンター周辺に人影はなかった。
 玄関は施錠されていたが、通用口は開いていた。机に書き込みのある書類が重なり、飲みかけのミネラルウオーターや非常食があった。黒板には10分刻みで風向や放射線量が記されていた。「慌ただしく退去したさまが生々しく残っていた」と振り返る。
 同じ敷地には、モニタリングの拠点となる県原子力センター、被ばく医療を行う県環境医学研究所が立つが、ともに中に入れる状態だった。緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)の機材や内部被ばくを検査するホールボディーカウンターが残されていた。
 「信じられなかった。無人のまま2カ月半、無施錠に気付いていない」
 オフサイトセンターには大きな揺れがあった3月11日夜から国や県などの職員が詰め、現地対策本部を設置した。しかし、放射線量の上昇に加え、停電や通信機能の障害もあり、同15日までに全員が退避した。
 「原発事故のために設置した施設が機能しなかったのはなぜか」。小沢さんは県議会でたびたびただしたが、納得できる答えは得られなかった。「現地の状況が分からない。報道もない。自分で確かめるしかない」と自主調査を断行した。
 調査後は県に施錠の確認を何度も求めた。県は退避時に施錠したとの回答を繰り返した。6月11日に再び現地を訪れ、全て施錠されたことを確認した。
 現地の対策本部がなくなり、原発20キロ圏内の状況を把握できなくなった。「新聞やテレビも同じ。原発周辺から記者が消え、情報が途絶えた。不安や混乱を招いた一因ではないか」と報道機関にも苦言を呈する。
 原発事故前、県は原子力災害に備え施設や機材、マニュアルを整えたが十分活用できなかった。
 小沢さんは「最も頼りになる施設が機能せず、退避後2カ月半も無施錠のまま放置した。巨大噴火やテロ、将来どんな国難に遭うか分からない。行政は責任感、使命感を磨いてほしい」と願う。

[オフサイトセンター]
 茨城県東海村で1999年にあった臨界事故を受け、原発や使用済み核燃料再処理工場、研究炉などの事故に備え設置された緊急事態応急対策拠点施設。情報を迅速に集め、関係者が連携して対応に当たる。福島県は原発事故後、新しいオフサイトセンターを建設。第1原発対応は約24キロ北の南相馬市、第2原発対応は約8.5キロ南の楢葉町にそれぞれ設置した。

http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201704/20170409_63043.html

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Author:東京江戸川放射線
2011年3月の原発事故時、放射能プルームで被爆。江戸川区の自宅周辺の放射能を測定。測定した結果、放射能汚染が酷いことが判明。妻子は3月より大分県別府市に移住。私も2012年5月末に東京の民間企業を退職し家族と合流。

 

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