平成30年夏の一部再開に向けて原状回復工事などが進むサッカー施設Jヴィレッジ(楢葉、広野町)で17日、ピッチに天然芝を張る作業が始まった。9月中旬ごろまでに天然芝ピッチ8面のうち5面に芝が張られ、サッカー施設の姿を取り戻す。
 芝張り作業はセンター棟南東にある2番ピッチで行われた。作業員約10人が縦約2メートル、横約50センチの天然芝を整地した土の上に敷き詰めた。ピッチの広さは約9000平方メートルで、一面全てに天然芝を張るのに1週間から2週間かかるという。
 運営会社の日本フットボールヴィレッジの上田栄治副社長は「芝が張られ、いよいよサッカー場らしくなる。早く昔のような美しい芝生のピッチに戻り、子どもから大人までサッカーを楽しむ姿を見たい」と話した。
 Jヴィレッジは東京電力福島第一原発事故の対応拠点として東電が運営会社から借り受け、グラウンドに砂利やアスファルトを敷き詰めるなどして作業員の駐車場や資材置き場、ヘリポート、社員寮の設置場所として使われていた。
 Jヴィレッジではピッチなどの原状回復工事のほか、平成31年4月の全面再開に向け、全天候型サッカー練習場や新しい宿泊棟の建設工事が進んでいる。

http://www.minpo.jp/news/detail/2017041840810
 県内のイノシシ捕獲頭数が急増し、地元自治体や狩猟者が捕獲後の処分に苦慮している現状が、県の調査で分かった。2015(平成27)年度に捕獲したイノシシ1万5467頭のうち、衛生的に最適な焼却処分は全体の37%に当たる約5800頭にとどまる一方、残り約9600頭は土に埋設処分された。東京電力福島第1原発事故で避難指示が出された地域を中心にイノシシ被害が深刻化する中、捕獲後のイノシシを処分する用地の確保や衛生環境整備などが、市町村の大きな負担になっている。

 ◆◇◇40分かけて解体

 「大きいと100キロ近い重さになるイノシシを解体するのは大変。解体が不要な焼却炉があったら楽だな。うちの方にも建たないかな」。伊達地方衛生処理組合の焼却施設でイノシシを焼却するため、1頭当たり30~40分かけて解体している県猟友会桑折支部長の後藤忠郎さん(62)に徒労感が漂う。

 鳥獣の保護および管理ならびに狩猟の適正化に関する法律に基づき、捕獲したイノシシを穴を掘って埋めるのは重労働で、用地確保の問題もある。年間40頭ほど捕獲する後藤さんは「埋める場所がないから、焼却を選んでいる」。しかし、焼却するにも夏場はイノシシが腐りやすく、処理が滞ると悪臭に悩まされる。

 ◇◆◇専用炉県内1基

 後藤さんがうらやむのは、相馬市と新地町でつくる相馬方部衛生組合が同市に建設し、16年4月に稼働したイノシシ専用の焼却炉。イノシシを解体せずに焼却でき、バグフィルターで放射性物質の飛散も防ぐ。稼働後の1年で、冷凍庫に保管されていた15年度捕獲分も含め約830頭を焼却。今後も年間600頭のペースで焼却する計画だ。

 捕獲後の処理が問題となり、猟友会の駆除意欲の低下に拍車を掛けていたとする相馬市の担当者は「処分に悩む必要がなくなり、駆除意欲の活性化につながった」と説明する。

 解体せずにイノシシを焼却できるのは両市町と、高い焼却能力の施設を持つ福島市のみ。35市町村は事前に解体して一般廃棄物の焼却施設で焼却するか、埋設している。焼却施設を使わず埋設している市町村もある。

 ◇◇◆捕獲頭数8倍に

 県はイノシシによる農業被害や人的被害の未然防止に向け、年間1万7000~1万8000頭を捕獲、19年度までに生息数を5200頭に減らす目標を掲げる。16年度の実績は集計中だが、目標を上回る2万4000頭が捕獲されたとみられる。捕獲数は11年度の約3千頭の約8倍に膨らむ。

 捕獲対策が軌道に乗る一方、多くの市町村が処分に頭を悩ませる。専用の焼却施設や微生物による分解処理装置の導入を検討する市町村も出てきているが、一般的に「迷惑施設」と見られがちな処理施設の建設には住民の理解が必要で、慎重な対応を迫られているのが現状だ。県自然保護課は「出口ベースの処分をどうするか。市町村と一緒に考え、問題解決に汗をかいていきたい」とする。

http://www.minyu-net.com/news/news/FM20170416-164842.php
 相馬市は東日本大震災以降、開設を見送っている原釜尾浜海水浴場について今年度、再開に向け関係機関との協議を始める。条件が整えば、来年夏の再開を目指す。
 県は海水浴場背後の海岸堤防の整備を進めており、今年度完成する予定だ。海水浴場の再開に備え、海岸近くの海浜公園にトイレやシャワー室、ベンチなどを整備した。震災の津波でえぐられた海岸の修復工事も既に終えている。
 市は津波に関する警報などが発令された場合に備え、海岸付近にいる人が安全に避難できるよう堤防から内陸につながる避難道路を計画している。
 市は今後、県や観光・宿泊関係団体などとの協議の場で再開時期や安全対策などを慎重に議論する。
 市によると震災前、同海水浴場には1シーズン当たり約5万人の海水浴客が訪れていた。

http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2017/04/post_14986.html
 県は平成29年度から、東京電力福島第一原発事故で避難区域が設定された12市町村で生産された農産物の首都圏などでのセールスを支援する。農家から出荷量を増やしたい栽培品目や取引を希望する相手を聞き取り、販売・加工業者らとの商談を取り持つ。
 県は事業を福島相双復興官民合同チームに委託する。12市町村で農作物の栽培を再び始めた農家や営農再開を希望する農業者を訪ね、出荷に力を入れたい品目や取引をしたい業種を聞き取る。
 この結果を踏まえて商談する相手を選び、農業分野に詳しいコンサルタントを商談先に派遣する。仕入れの条件などを聞き取った上で12市町村の農産物の安全性や品質を伝え、農家との取引の成立を目指す。
 事業は32年度までの4年間継続する。営農を再開した農家が比較的多い地域から始め、順次対象を拡大する。
 県は12市町村の営農再開を加速させるには農産物の販路拡大が不可欠とみている。県と農林水産省が昨年7月から11月にかけて12市町村の認定農業者を対象に実施した調査(対象708人、回答522人)では、回答者の4分の1に当たる137人が販路確保の支援や風評対策を望んだ。
 県農林企画課は「原発事故後に失われた販路の回復に加え、新たな流通ルートの開拓を進めていきたい」としている。

http://www.minpo.jp/news/detail/2017041740780
 東京電力福島第1原発事故の対策拠点でありながら、事故発生直後に閉鎖された福島県大熊町のオフサイトセンターは、無人のまま施錠されずに2カ月半も放置されていた。証言したのは当時、県議だった小沢隆さん(76)=会津坂下町=。「状況を確かめて冷静に行動できなかった今回の原発事故を象徴する。歴史的な教訓にしなければいけない」と戒める。

◎施設機能せず 行政の責任感問う

 小沢さんは同僚議員らと2011年5月29日、自主調査で福島第1、第2原発のオフサイトセンターである県原子力災害対策センターを訪れた。第1原発の20キロ圏内には通行許可証を取得して入った。一時帰宅は始まっておらず、第1原発から約4キロ離れた大熊町中心部のオフサイトセンター周辺に人影はなかった。
 玄関は施錠されていたが、通用口は開いていた。机に書き込みのある書類が重なり、飲みかけのミネラルウオーターや非常食があった。黒板には10分刻みで風向や放射線量が記されていた。「慌ただしく退去したさまが生々しく残っていた」と振り返る。
 同じ敷地には、モニタリングの拠点となる県原子力センター、被ばく医療を行う県環境医学研究所が立つが、ともに中に入れる状態だった。緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)の機材や内部被ばくを検査するホールボディーカウンターが残されていた。
 「信じられなかった。無人のまま2カ月半、無施錠に気付いていない」
 オフサイトセンターには大きな揺れがあった3月11日夜から国や県などの職員が詰め、現地対策本部を設置した。しかし、放射線量の上昇に加え、停電や通信機能の障害もあり、同15日までに全員が退避した。
 「原発事故のために設置した施設が機能しなかったのはなぜか」。小沢さんは県議会でたびたびただしたが、納得できる答えは得られなかった。「現地の状況が分からない。報道もない。自分で確かめるしかない」と自主調査を断行した。
 調査後は県に施錠の確認を何度も求めた。県は退避時に施錠したとの回答を繰り返した。6月11日に再び現地を訪れ、全て施錠されたことを確認した。
 現地の対策本部がなくなり、原発20キロ圏内の状況を把握できなくなった。「新聞やテレビも同じ。原発周辺から記者が消え、情報が途絶えた。不安や混乱を招いた一因ではないか」と報道機関にも苦言を呈する。
 原発事故前、県は原子力災害に備え施設や機材、マニュアルを整えたが十分活用できなかった。
 小沢さんは「最も頼りになる施設が機能せず、退避後2カ月半も無施錠のまま放置した。巨大噴火やテロ、将来どんな国難に遭うか分からない。行政は責任感、使命感を磨いてほしい」と願う。

[オフサイトセンター]
 茨城県東海村で1999年にあった臨界事故を受け、原発や使用済み核燃料再処理工場、研究炉などの事故に備え設置された緊急事態応急対策拠点施設。情報を迅速に集め、関係者が連携して対応に当たる。福島県は原発事故後、新しいオフサイトセンターを建設。第1原発対応は約24キロ北の南相馬市、第2原発対応は約8.5キロ南の楢葉町にそれぞれ設置した。

http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201704/20170409_63043.html
 東京電力福島第1原発事故の避難指示が昨年7月に解除された福島県南相馬市小高区で、生活用品大手のアイリスオーヤマ(本社・仙台市青葉区)が、コメの作付けなどの営農再開支援に取り組むことになった。買い取ったコメをパック詰めのごはんなど、さまざまな商品に加工して販売し、事故による風評被害の緩和や流通ルートの拡大につなげるという。
 東北で最大規模の農業法人で、アイリスが51%出資する舞台ファーム(本社・仙台市若林区)の針生信夫社長と、今年から小高で7年ぶりに本格的な作付けに取り組む紅梅夢(こうばいゆめ)ファーム(南相馬市小高区)の佐藤良一代表が5日、小高区で記者会見し明らかにした。

 紅梅夢ファームは今月下旬以降、小高区上浦地区の水田9ヘクタールで、県の奨励品種「天のつぶ」を作付けする。収穫したコメは、舞台ファームが全量買い取って、自社の精米工場で安全検査をした上で、今秋からさまざまな流通ルートで販売する。

 アイリスグループは、東北の大手コンビニやホームセンターなどに、パック詰めのごはん、カット野菜を卸すなどスーパーや飲食店チェーンと幅広い取引がある。風評被害の影響を受けにくい「6次化商品」も開発しており、販売ルートの確保に苦しむコメなど県産農産物の流通拡大を支援していくという。

 針生社長は、東日本大震災の津波で仙台沿岸部にある水田を全て失い、一時は多額の負債を背負って営農を断念した経験がある。その後、アイリスの資本支援を受け、宮城県内で650ヘクタールを作付けする大規模農業法人の代表になった。今回の取り組みの動機については「この地域ではおいしいお米がとれるのに、風評被害で無駄になっているのはもったいない」と説明した。

 佐藤代表は「努力して収穫したコメが買いたたかれる状況が営農再開の大きな妨げになっている。協力関係をきっかけに、地域農業の活気を取り戻したい」と話した。

https://mainichi.jp/articles/20170406/k00/00e/020/281000c
 東京電力福島第一原発事故による避難指示が帰還困難区域を除いて解除された富岡町の桜の名所・夜の森地区の桜のトンネルで1日、東日本大震災後初となるライトアップが始まった。16日まで。
 夜の森地区の桜のトンネルは震災以前、10万人を超える観光客でにぎわった町のシンボル。まちづくり会社の一般社団法人「とみおかプラス」が避難指示解除に合わせ、町ににぎわいを取り戻そうと企画した。
 点灯式では、とみおかプラスの大和田剛代表理事が「ライトアップの光が町民の心を照らし、町民の気持ちに未来に前進する勇気や希望を与えることを期待したい」とあいさつ。宮本皓一町長、塚野芳美町議会議長が祝辞を述べた。大和田代表理事、宮本町長、塚野議長が点灯スイッチを押すと、投光器が桜の木を幻想的に照らした。
 富岡二中の東側の通り約300メートルの約100本と、JR夜ノ森駅西側の町道約300メートルの約50本を照らしている。時間は午後6時から午後8時まで。この日は朝から気温が低く、桜のつぼみも膨らみ始めたばかり。平年だと10日前後に見頃になるという。
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Author:東京江戸川放射線
2011年3月の原発事故時、放射能プルームで被爆。江戸川区の自宅周辺の放射能を測定。測定した結果、放射能汚染が酷いことが判明。妻子は3月より大分県別府市に移住。私も2012年5月末に東京の民間企業を退職し家族と合流。

 

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